小川裕の宣言ストーリー

はじめまして!
「何でも聞いてくれるし、すべて受け止めてくれる」と言われる、すごく相談しやすい工務店の小川裕(おがわひろし)です。

「子どもたちの笑顔を見ながら、料理できることが、とてもうれしいです」と家族が“笑顔”になることが、わたしのよろこびです。そのために、「こちらの意向を何とかしようって、してくださる」と言われるように、心がけていきます。

小川工務店の小川裕

なぜわたしが

「うちの子は絶対そんなんせえへん!」

わたしの工務店は、祖父が、昭和10年に住吉区に創業しました。 わたしは子どもの頃、祖父の家に行くと、職人さんが木をカンナで削っているのをよく見ていました。住む込みの大工”きよちゃん”が手先を器用に木を形にしていくのを、「かっこええなぁ~」と思っていました。

 

父は、最初製薬会社で営業をしていました。30歳代のとき、交通事故でむちうちになり入院。その後、会社を辞めて、祖父の工務店の仕事を手伝うようになりました。

祖父が早くに亡くなり、父は、仕方なく工務店を継ぎました。建築の知識は全くない。人一倍不器用だったので、大工仕事も全くできない。父のやったところを、大工さんが後でバラして組み直してやる有様。二級建築士の資格を取るためにも苦労しながら勉強していました。

それでも、「仕事を取るのは人柄や」と言って、お客さんの話を一生懸命聞いて信頼を得て、紹介で仕事をまわしていました。

小学校2年生のころ、明石に住む父の友達の家に、家族で行きました。その時、父が近くの公園をランニングするというので、私も一緒に走りました。10kmくらいの長い距離。

父は時々「行けるか?」と声をかけてくれました。わたしは、父の背中を見ながら走ったので不思議とつらくありませんでした。走り終わったあと、「よく走ったなと」と父は、ほめてくれました。小学校のころ、父がほめてくれた唯一のことでした。

 

母は、こうと思い込んだら突き進む信念の人です。

小学校のとき、わたしは、友達と一緒に、興味本位で万引きをしてしまいました。その時、母が出てきて「うちの子は、そんなことせえへん!」と言うのです。友達が「いや、したし」と言っても、母は聞く耳を持ちません。「うちの子は、そんなん絶対する子ちがう!」の一点張り。

中学2年のころのわたしは、反抗期真っ盛り。父が、家族で旅行に行くというので、わたしだけ「行かない!」と言いました。すると、父は「来なあかん!」と言って無理やり連れて行こうとしました。そこで、逃げて友達の家に行き、泊らせてもらったのです。

翌日、家に帰り、「みんな旅行行ってるかな」と思ってたら、母だけ、わたし のために家に残っていたのです。

「絶対買ったるわ!」

小学校低学年のころは、手先が器用だったので、プラモデル作りが大好きでした。作ってる時が、最高に楽しかったです。とくに、完成に近づいてくると、出来ているという実感がわき、すごく楽しい時間です。

ゼロから作り上げていくこと、どんな形が出来上がっていくのか、最後に正確にできた、という楽しみもありました。

小学5年生のときから、新聞配達を始めました。友達が新聞配達をしてお金を貯めて、ロードレーサー(競技用自転車)を買ったのです。「いいなぁ~。かっこいいなぁ~」と言って、乗せてもらいました。

「絶対買うわ!絶対買ったるわ!」と無性に欲しくなりました。

小学6年生まで新聞配達を一年間やりました。夕刊だけですが、月曜から土曜日まで毎日。雨とか風の強い時はしんどかったですが、不思議と「きつい」とか「つらい」とかはなかったです。目標があったので、一目散に進む感じです。

念願のロードレーサーを買ったときは、めちゃめちゃ嬉しかったです。買ってすぐ、友だちに真っ先に見せに行きました。友だちは「とうとう買ったんか!次の日曜日行こうよ」と言ってくれました。朝4時に起きて、大阪から和歌山まで行きました。

中学2年のとき、同級生が文化祭でバンド演奏をしました。その姿を見たとき、もうびびっと衝撃が走りました。

「すごくかっこいい!」

わたしは、その日のうちに、近くの楽器屋さんにギターを買いに行きました。教則本を買って、1日8時間くらい曲の練習をしました。ときどき、うまい友達に教えてもらい、かなり上手になりました。

燃えるものが見つかったというよろこび。口下手でうまく言葉にすることは得意ではないが、表現できるものができたというよろこびです。

 

「自分のことわかってくれない...」

ギターが上手くなると自信がついて、高校では同級生とバンドを組むようになりました。高校の文化祭やライブハウスでも演奏していました。

それまでのわたしは、口ベタで引っ込み思案。自分に自信を持てない人間でした。ところが、ギターを手にしてから、とことん練習してステージに上がると、緊張せず演奏できて、自分に自信を持てるようになったのです。

ギターを弾くと「わぁ、すごい!」とみんなが言ってくれることが、すごく嬉しいのです。練習した分だけ身に付く、努力すればするほど良くなるんだという自信は大きいものがありました。

また、バンドで、リズム・メロディ・ハーモニーがばっちりハマった瞬間、空気が回るような、すごく心地いい空間になるのです。生きている!という実感がわいてくるのです。

高校に入ると、父とよくケンカしていました。「お前テストどうやった?どうせアカンかったやろ?」と父が言うのです。

「悔しい!」

父からは、あまりみとめられたことがなかったので、「うるさいわ。ほっとけやぁ~」と父とぶつかりました。

わたしの方も、夜遊びまわったり、勉強もせず、バンドばっかりやっていました。そんなわたしを見て、父は「外出ていくなら家に居れ!」と怒る。そのため、わたしもカッとして、家を出て友達の家を泊り歩く。帰ってきては、「家に居れ!」「外に出ていくな!」と怒られることの繰り返し。

友達の親は、親子で普通にしゃべっているのです。そんな親を見ると「こんな親ならいいなぁ」と思いました。

たしかに、わたしは遊んでいたけど、道を踏み外すようなことはしていない。

「自分のこと、わかってくれてないなぁ...」
「もっと信じてくれたらいいのになぁ...」
そんな寂しさがありました。

高校3年のときの女の先生が、すごくいい先生でした。

わたしは、三時間目から学校に行ったりするような生活をしていました。それでも、先生は、いつもわたしのことを気にかけてくれました。あるとき、先生が「あなたのことは信じてるから」と言ってくれたことが、すごく嬉しかったです。

卒業後の進路について、先生が「どうすんの、これから?」と心配してくれました。わたしは、ギターをやっていましたが、プロになれるわけはないと思っていました。そのため目標もなかったので、「べつに考えてないです」と答えたのです。それでも、先生は、しつこくなにか言うことはありませんでした。

「この子は、何かしよるやろ」と、どこかで信じてくれていたのです。そのため、この先生だけは、裏切ったらアカンな、先生を悲しませるようなことをしたらアカンなと思っていました。

 

「これがおまえのやりたいことなんか?」

高校を卒業しても、なにか目標があるわけでもなく、わたしは家でブラブラしていました。

高校の同級生のA君が「ブラブラしてるんだったら、うちにアルバイトに来ないか?」と声をかけてくれたのです。A君のお母さんが経営している会社の工場のアルバイトです。わたしは、なにもやることがなかったので、すぐに行きました。

3年ほど経ったとき、同級生のA君がこう言ったのです。

「お前、このままずっとアルバイトしていくつもりか?  これがおまえのやりたいことなんか?」

わたしは「自分はもう用済みなのか...」と思って。じゃあ出ていくしかないなと思い、すぐに辞めました。

 

アルバイトを辞めて、これからどうするか?真剣に考え始めました。

しゃべりが得意じゃないし、黙々とできる仕事がいいな...
手先が器用だから、あっ、大工さん。実家も工務店やし、大工さんいいかなと思ったのです。

わたしは、父に「大工さんになりたんだけど」と言いました。父は、喜ぶでもなく、「おまえにできるんか?」「とりあえずやったらええわ。棟梁について、見ながら仕事覚えろ」とそっけない。

わたしは、父の言い方に頭に来ました。「他の工務店に行ったらもっと厳しい だろうな」と思っていたので、仕方なしに父の元で働くことにしました。

22歳から8年、父のところの大工の棟梁について大工の仕事をしました。昔の大工さんは手取り足取り教えてくれません。「見て覚えろ!仕事は見て盗め!」とよく言ってました。ところが、実際はそんなことできません。

仕方がないので、自分で、「墨付け」についての専門書を買ってきて勉強しました。墨付けが出来て一人前といわれましたので、やり方・技術・コツまで本から勉強しました。

「墨付け」の練習に派材を使って10分の1の家を作りました。なかなか自分では上出来でちょっと自信が出来ました。

それを見た材木屋の社長は、
「これ、一人で作ったんか?凄いな!めちゃくちゃ精密に作ってあるやんか。もう一人前の大工さんやな!」

初めて、大工として、みとめられたと感じて、とても嬉しかったのです。

ところが、それを見た父が、
「しょーもないもん作って!邪魔になる!」
と言って、そのままトラックに載せて捨てられました。

材木屋の社長は「ひどいことすんなぁ!「せっかく息子が作ったのに!」と言ってくれました。

わたしの中では、「やっぱりな」というあきらめの気持ちしかありませんでした。
1995年1月17日。突然の揺れに、たたき起こされました。

妻と2歳の娘は怯えていました。わたしは枕元にあったタンスを必死で倒れないように抑えました。そして、テレビに映し出された映像を見てびっくりしました。

ビルが倒れている、家がぺしゃんこ、高速道路が倒れている。
なにこれ?現実にこんな事が起こるのか?

地震後、バイクで神戸に行った時の惨状を見てふつふつと思いました。

「自分は大工だから、神戸の再建をお手伝い出来ないかな?」

そう思っていた矢先、ハウスメーカーさんから、大工職人が足りないという話を聞きました。即行かせてくださいと頼みました。その頃は大工として少し自信があったのです。また、父親の元も離れたい気持ちがありました。

わたしは、泊まり込みで一生懸命に働きました。職人の中でも大工は一目置かれる存在でした。「大工さん、大工さん」とみとめていただき、とても嬉しかったのです。嬉しくなると余計に仕事に力が入る。

ある日、年配の男性の方が、わたしの仕事をじっと見ておられました。

「あんたらが、ワシらの街を直してくれるんや、もっと胸を張れ!」予期せぬ掛け声にびっくりしました。わたしも力強くこう答えました。

「はいっ!ありがとうございます。顔晴ります!」

 

なぜ、わたしは【信じる】を使命と掲げているのか?

その後、神戸の街の復興も進み、だんだん家を建てるところもなくなってきました。そろそろ、別な働き先を考えないといけないと考え始めました。

そんなとき、母からの電話。「お父さん入院するねんけど」と。

「じゃあ手伝おうか」といった気持ちで、帰ることにしました。実際に戻ってみると、父は、力仕事もできない状態でした。見舞いに行った病室で、父にこう言われたのです。

「お前に工務店は譲るから、社長になってあとはやってくれ」

わたしは、ひと言「いいよ」と。正直、自分が社長になって、仕事取れるんか?と、強烈な不安におそわれました。

仕事の取り方とか知らないし、営業もしたことないし。

「しゃべるの嫌だから大工さんになったのに…」

その日から、不安しかないです。自分が稼がないと、家のローンもあるし…
娘が12歳、息子が10歳。学校に行かせないといけない…

かといって、仕事は自分で見つけられない。そこで、神戸に行ってたときの工務店にお願いしたり、知り合いの工務店に「仕事ないですか」と電話したりしました。

仕事がないので、1日の余った時間をつぶすのにしんどかった日もありました。家に帰ったら小さな子もいるし、どうしよう…専門書がたくさんある図書館で、営業に行かず、一日ひたすらチラシの勉強をしていました。

神戸から帰ってきてから半年、ずっとストレスを抱えた毎日でした。

2006年、41歳のとき、健康診断で、血便が出ました。妻が「すぐ病院に行きなさい」というので、検査を受けました。

先生から「陽性反応出てるからすぐ来なさい」と。それからすぐ詳しい検査をしました。

軽い気持ちで、検査結果を聞きに一人で病院に行きました。先生から「大腸ガンです」と言われた瞬間、頭のてっぺんから血の気が引いていくのが、わかりました。

家に帰ったら、妻は「どうやった?」って聞いてきました。わたしの顔を見て察したのでしょう。「癌やった」と言ったら、何も言いません。

「お前は若いから、自分にもしものことがあったら、良い人が居ったら再婚しろ」

わたしがこう言うと、妻は泣いてしまいました。
でも、泣いたのは一回きり。その後は、気丈にふるまっていました。

先生には「仕事して気を紛らせなさい」と言われました。それもできず、一週間くらいずっと何もできません。一人の時は、泣いてました。

家にいても嫌になるのて、500円玉一枚を全部10円玉に替えて、近くの住吉大社のあらゆる神様にお願いしました。

「助けてください」

鳥居とか、ご神木とか、片っ端からお願いしました。 そうしていないと気が落ちこむので、一週間毎日行きました。

ある日、父が見舞いに来て言いました。

「代わってやれたらなあ」

わたしは、何も言わず、ただ聞いていただけ。病院のベッドで、冷めた感じで「ふーん」という感じでした。

「今まで一回もそんなこと言わへんのに、  なに急に言ってんねん」
心の中で、そうつぶやいていました。

母は、手術の前に、「あんた、がんばりや」と声をかけてくれました。わたしは「がんばるのは先生やから」と言いました。すると、看護師さんはじめ、周りの人が苦笑い。

妻は、パートに出て淡々と仕事をこなしていました。わたしには、何も言いません。落ち込んでへこんでいる姿を見ても、あえて何も言いませんでした。

その後、手術をして、結果、癌の初期だということがわかりました。先生からその話を聞いたとき、ふうっ〜と肩の力が抜けました。

その瞬間、急にあたたかい涙が出てきたのです。

一人で不安を抱えていた自分を微笑ましく思えたのです。 気持ちが落ち着いてきたので、妻に、あのとき、なぜなにも言わないでいてくれたのか、聞いてみました。

「私も一緒に落ち込んでも仕方ないじゃない。子供も小さいし、家事もこなさないといけないし。二人で落ち込んだら子供にも影響するでしょ?」
と淡々と話してくれました。そして、妻は、こう言ったのです。
「不思議とあなたは大丈夫のような気がした。信じていたから」

この妻の言葉から、それまでの過去のことが一気に見えてきたのです。
すべてのことに、信じることが欠けていたのではないか...

父にいつも「どうせアカンやろ」と言われていたので、自信を持てなかったのです。

どうせやっても失敗するかもしれん、
と自分を信じられなかった…

売上や家庭のお金のことが心配でも、男が妻に相談するのは、みっとなもない。

妻になにか言われたらどうしよう、と自分を信じられなかったのです。

お客さんに対しても、自信がなかったので、会うのが怖かったのです。

何をしゃべっていいのかわからない、
と自分を信じられなかった…

そうなんです。わたしには、自分を信じることが、欠けていたのです。

この体験から、わたしは、【信じる】を使命と掲げることにしました。

【信じる】を使命と掲げることで、気持ちも吹っ切れました。当時学んでいた、チラシで集客することに没頭できたのです。

実際にチラシを配ったのは手術してから3か月後。最初のチラシはあんまり反応がありませんでした。それでも、癌になったことに比べたら、ちっちゃい、ちっちゃい。

「よし!次、次いくぞ」そんな前向きな気持ちで、チラシを改良しました。なんと、次のチラシが大当たり。すごい反響があったのです。「チラシでこんなに問合せしてくれるんだ」と、とてもうれしくなりました。

今までは、自分を信じられなかったので、人からなにか言われることが苦手でした。ところが、自分のことを信じられるようになると、妻の耳の痛い言葉が、ありがたく感じられるようになったのです。

「もっと期間決めて、エリアを決めて、チラシ撒いた方がいいんじゃない?」
「何で、今せえへんの?何で、さぼってんの?」
という妻の言葉を素直に聞けるようになったのです。

そんなとき、9年以上お付き合いのあるお客さんに、なぜ、わたしに仕事を依頼されたのか?と聞いてみました。自分を信じて。

すると、このように話してくれたのです。

「家のことなんで、長い付き合いになるじゃないですか。ほんとの付き合いは、建ててからになると思うんでね。

大手さんで施工事例も見たりしましたが、やっぱり、小川さんのように親戚みたいに付き合えるところの方が、絶対、あとあと安心やなと思って」

「小川さんとこは、兄弟で性格が違うのもいいですよね。『こっちはお兄さんに言ってみる、こっちは弟さんに言ってみる(笑)』って。

だから、言いやすい、何かと頼みやすい。長くお付き合いしていきやすいって言うのが、よかったなぁーと思います。小川さんに頼んで(笑)」

こんなにも思ってくださっているのかと思ったら、とてもうれしくて、この仕事に自信と誇りが持てるようになりました。

【信じる】を使命と掲げることで、さらに、お客さんとの関係も変化していきました。

「小川さんと出会っていないと、この家は建たなかったです」

「中庭のウッドデッキで、ビールを飲むのが、なによりのしあわせだね」

「子どもたちの笑顔を見ながら、料理できることが、とてもうれしいです」

このように言っていただき、あらためて、この仕事をやっていてよかったと、心から思えたのです。

自分が思っていた以上に、自分のことを信じてくれている。このことが、とても大きな自信になっています。

「気になるところを、一緒に解消してくれる人がいてくれたらなぁ...」
と思っている方へ

こちらの意向を何とかしようって、してくださる方がいたらなぁ…」

「親戚みたいに付き合えたら、あとあと安心だなぁ…」

「何でも聞いてくれて、すべて受け止めてくれる人がいたらなぁ…」

このような方に、この物語を読んでもらいたいと思っています。そして、「すごく相談しやすいです」と感じていただけたら、とてもうれしいです。

そのためにも、【信じる】を使命に掲げて行動していきます。

そうそう、最近、妻に「なぜ、おれと結婚したん?」と聞いてみたのです。
妻は、こう答えてくれました。

「わたしは自分のことを信じられず、いつも自信がなかったけど、あなたが『自分のままで良いねんで』って言ってくれたことが、凄くありがたかったから」

そうか、自分のことを信じることが欠けていると思っていたけど、妻のことは、ずっと信じていたんだ。そう思えると、妻と自分のことをいとおしく思えたのです。

最後に
いま亡き父へ

おとっつぁん
慣れない仕事をしてがんばってきたことを分からずに、不満ばっかりで、ごめんな。
「もっと、おれのことを信じてくれたら...」と 自分のことばかり考えていたわ。
おとっつぁんの気持ち、少しでも分かれたらなぁと後悔しています。

でも、この前、夢の中で、おとっつぁんと出会ったで(笑)
将来、おとっつぁんと一緒に酒を飲みながらたわいのない話をしたいと思ってます。
それまで、元気でな。風邪引かんでな。

 

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